生ゴミに蓋して上から消臭剤ぶっかけていないかい。生ゴミは土に還したら栄養になるよ
こんにちは。さぶです。
旗ふり当番で旗ふりふり、ハンコ制作でハンコほりほりの毎日です。
前回のまいさんの記事
ぎょえええーそうなんですよねえ
10代の頃、盛大にスピリチュアルにハマっていろいろ拗らせてしまった時期がありまして。スピリチュアルって自分が肯定されているようなやさしい言葉をかけてくれるから自分を見失うとマジで拗れるんです。
どうして自己啓発やスピリチュアルにハマって、いろいろ拗らせてしまうのか、
それは・・・自己啓発やスピリチュアルの信者になってしまうからです。
自分の運転席に自己啓発やスピリチュアルを乗せて、自分の感情と思考回路は置いてけぼり、自分の感情と思考回路はなかった事にしてしまいがちだから。すべての自己啓発やスピリチュアルがそうという訳ではなく、そうゆう捉え方をしてしまいがちだから。
だから、胡散臭さ1000%になってしまう。
生ゴミに蓋して上から消臭剤ぶっかけて、にっこり『OK!☆』って言ってるようなもんで全然OKじゃないわけで。
生ゴミは臭いけど、ちゃんと埋めたら栄養になるのに。。。!
家によく訪問してくる、なんらかの勧誘の人に対して『本当のお前はどこへいった!!!??』と言いたくなってしまうのはその人が自分の感情と思考回路をどこかへ置き去りにしてもう誰なのかももはやわからなくなっているからで、だって笑っているのにぜんぜん笑ってないんだもん。
極論、それはそれでええじゃないかと思うのです。
ぜんぜん問題なくて、好きにすればよくて。
ただそうなるためにやってたわけじゃないのに気づいたらそうなってしまているって事があるので、それについて書きますね。
人間は人間なのでムカついたり悲しんだり口が悪かったりします。(口が悪くない人もいる)
喜怒哀楽があって当たり前なのに、喜怒哀楽の『怒哀』を排除しようとするもんだから、ただただ、胡散臭さ1000%になってしまうんじゃないかって思います。
なのでよく目にする『与えれば返ってくる』『〇〇な言葉を使うと人生が変わる』『感謝しましょう、ありがとうを言いましょう』の本当の意味を理解せず表面的に取り入れても、もう拗れに拗れて胡散臭さ2000%な人になるだけだと思っていて。
だって感謝やありがとうは溢れてくるものだから。
やさしい言葉はやさしい気持ちになった時に出てくる言葉だと思っているから。
わざわざすることじゃない。
感謝やありがとうって思えない事だってあるのに、わざわざしようとするから、もうそこでストレスがプラスされてしまう。できない時はできなくったっていいんだ。
そこを超えたら自然とありがとうと感謝ができるような自分になっていたりする。
(もちろん優しい言葉やありがとうを言うと自分が良い気持ちになるから、という事で使うのはいいと思っています。それによって絶対に言わなければいけない。みんなもそうであって、そうするべきで、というのはそれは少し違うんじゃないかと思うという事です。)
『怒哀』が明らかに存在しているなら、その『怒哀』を思いっきり自分の中でやっていい。そこで出て来た自分の言葉にたくさんのヒントが詰まっているから。
地球ってそうゆうところだから。
話は変って、私がずっと怯えてきた『カルマ』についての話をしたいと思います。
スピリチュアルで拗らせていた頃、常に『カルマの法則』に怯えていました。
『カルマ』とは簡単にいうと自分の行為の結果、因果応報の事です。
『良い行い、悪い行い、あらゆる自分の行為が必ず自分に返ってくる』
というものです。
これも捉え方によっては地獄要素が満載です。
まさに見えない敵が増えるだけになってしまう。
悪い事が起こっては、自分の罪悪感と照らし合わせて
『カルマきたあああああああああああ』と、罪を償うように自己否定の片道バスに乗り込む。
『償いだああああああ』とか言って。
あきまへん!!!!!
そして見知らぬ山中で罪を償ってから次に行う行為
『与えれば自分に返ってくる。だから、人に優しくしよう。ボランティアしよう。』
これ・・・やさしさでしょうか?
あきまへん!!!!!!
カルマというのは、この時の【不安、自己否定、我慢、動機不純すぎ、下心満載すぎ、雑念まみれすぎ、】→これが現実世界で返ってくる。ただそれだけのこと。と、私は解釈しています。
なので、汚い言葉を使おうが、使わまいが、自分の気持ちが豊かであれば【豊かな現実世界が訪れる】というエネルギーの話なのではないかと思うのです。
【行為の先にある本当に感じている事】が、ただ現実世界に反映されている。ということなんじゃないかと。
自分が出しているエネルギーと同じエネルギーの現実がただ目の前に現れる、ただそれだけの事。
物質や言葉に縛られないで、高いところから物事を捉えられるためのツールとして自己啓発やスピリチュアルがあって、縛られるようなものではない。
自分がホッと安心できるような材料で、素の自分、素の感情を受け入れるための教科書として使えたらいいなあと。
たくさん失敗してたくさん後悔してたくさん傷ついて
いろいろ経験したらいいじゃんと思うこのごろであります。
さぶ
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